猫は私より前から家にいた。
私がそれを猫だと気づいたのは3歳になった頃だった。
猫はジローとよばれていた。グレーっぽいトラ柄の雑種猫ジロー。
その頃私たち家族は東淀川の長屋に住んでいた。昭和30年代、人間も食べるのに精一杯だったから猫にちゃんと餌をやっていたかどうかは疑わしい。
私がもうすぐ4歳という頃だったと思う。ある夏の朝。
玄関の引き戸は開け放たれ、私は玄関上がりのところに座って外を見ていた。
すると、右から道をジローが歩いて来た。ジローは外から私の方を見て立ち止まった。
ちょうど開け放たれた玄関口の真ん中で止まり、口に加えたものをおもむろに地面に置いた。
私は見た。それはネズミだった。ジローが仕留めたネズミ。
きょとんと見る私にジローは確かに言った。
「どうだ。今日の食料だ。しっかりと仕留めたぜ。おまえもそのうち出来るようになれよ」
確かにそれが伝わってきたのだ。確かに。それを私に伝えた後、ジローはまた大事そうにその死んだネズミを口にくわえ、左に消えて行った。
私はその時の光景をずっと覚えている。

昭和38年の冬、私たち家族は西宮の社宅に引っ越すことが決まっていた。私は5歳になっていた。引っ越し準備がほぼ終わっていたように思う。いつもと違う家の様子を覚えている。私は近所に住む友達 みきちゃんと近くの駄菓子屋さんに行った。みきちゃんはうちより少しお金持ちの子だったので私には買えない高めのお菓子を買う。いつもうらやましかった。
その日もみきちゃんは10円のキャンデーを、私は5円のキャンデーを買って帰る途中、道端の側溝の中に、両目が飛び出てしまった死んだ猫を見つけた。その頃我が街界隈でも車の行き来が増え、猫は車にはねられ死んだのだ。みきちゃんは、
「この猫、ジローちゃう」
と言った。
私は応えず急いで家に戻った。
ジローはいなかった。

間もなく私たち家族は引っ越した。