カエルのこと

東淀川の長屋から西宮の社宅に私たち家族は引っ越した。

西宮の社宅は今で言うマンションで、5階建てだった。私たちは3階に住んだ。
ここは今までとは随分違っていた。
木曜日になったらお風呂屋さんに家族4人で行っていた長屋とは違って、風呂は住まいの中にあったし、トイレはなんと水で汚物を流してくれるスグレモノだった。そう水洗トイレ!
ここに私は年長さんから小学校4年生の2学期が終わるまで住んだ。

日本は高度成長をまっしぐら。私たち家族も少しずつ豊かになっていった。マンションの敷地内にはけっこう広い庭もあり、春になると白詰草が一面に咲いた。そこでよくアマガエルを見つけて私は遊んだ。
引っ越して半年ほど経ったある日、母は私にオルガンを習わせた。
なにせ社宅である。父は会社で競争、母は子供で競争の世界だ。
私にはそれほどの意欲も競争心もなかった。
でも曲がひけるようになると誰かに聞かせたくなる。
私はいいことを思いついた。
「今日見つけてきたカエルくんに聞かせてあげよう」
オルガンの真ん中あたりにカエルくんを連れてくるとちゃんとカエル座りをして聞いてくれた。。
…のはずだった。私の習いたてのヘタクソな曲が架橋に差し掛かった時、事件は起きた。
カエルくんはどう思ったかぴょんぴょんと端っこに移動し、オルガンの端にある隙間からオルガン内部に入り込んでしまったのだ。
私は呼んだ。何度も。
「カエルくーーん」「出てきてーー」
音沙汰はなかった。それからしばらく毎日呼んだが音沙汰はなかった。
父にも母にも助けを求めたが、忙しい彼らに聞く耳はなかった。

社宅の上階からピアノの音が聞こえてくるようになったある日、父母は私にピアノを買った。
私は小学2年生になっていた。
オルガン教室からピアノ教室に昇格?である。

そしてオルガンは解体して捨てられることに決まった。
解体作業の日のことをよく覚えている。

父にバラバラにされていくオルガン。私は黙って見ていた。
「きっといる」
そう思って固唾を飲んで見ていた。
鍵盤の内部があらわになった時、3年ぶりに私はカエルくんを見つけた。
あの日私がカエルくんを置いた真下あたりに彼はいた。
ちゃんとカエル座りをして。そのままの形でカエルくんはミイラになっていた。

オルガンを処分したあと、父と私は白詰草の横にカエルくんを埋めた。


「ごめんなさい」